【連載小説】長靴を履いた黒猫(3)

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2話はこちらから。

「いいんですか、受け取っても」

 そうとしか言えない状況にいつの間にかなってしまっていたので、僕は仕方なしに女性にそう訊ねていた。

 そんな僕の言葉に女性の強張った表情は急速に緩んでいき、

「もちろんです、どうぞ」

 と、女性はとびきりの笑顔で僕に長靴を手渡した。

 笑顔だけならば本当に素敵なのに、という言葉が僕の脳裏を度々よぎっていた。

 受け取った瞬間、なんとなく長靴の中を確認してしまった。手紙などは入っていない。新手の告白方法というわけでもなさそうだ。

「どうも、ありがとう、ございます」

 嫌々受け取らせておいてこちらからお礼を言うのも何か癪だったが、つい反射で口から謝辞がこぼれてしまった。

「いえいえ、とんでもないです」

 女性は顔の前で右手を振りながら答える。

 この瞬間にはもう、本当に帰りたいという気持ちしか僕の中には残っていなかった。

 そんな内心を知らない彼女は、

「幸せにしてくださいね」

 なんて図々しいお願いを念を押すように付け足したのだ。

「はいはい、わかりました。僕に任せてくださいね」

 もうほとほと愛想が尽きて、僕は適当に返事を返すと、

「それではまた、どこかで」

 僕は今度こそこの場を離れようと思い、軽く会釈をしながら彼女の横を通り過ぎようとした。

「はい、ありがとうございました。よろしくお願いします」

 去り際に彼女も元気いっぱいの挨拶と深々としたお辞儀を僕に返してくれて、この場は丸く収まったのだった。

 

 という話を、僕は学食を食べながら、相席していた男友達に話して聞かせていたのである。

 夕刻の学生食堂は昼間の混沌とした混雑が嘘のようにがらんとしていて、友達と雑談するにはちょうどいいくらいの適度な賑わいであった。

 僕の正面に座ってざるそばをすすっていた友達は、口いっぱいに頬張っていたそばをごくりと飲み干すと、僕を箸で指差しながら、こう言った。

「お前、それは俺への自慢話か」

 友達は箸を持ち直すと、真ん中からへし折らんばかりに強く握り締めていた。

「いやいやいや、今の話のどこに自慢できる要素があったんだよ」

 まったくその気がなかった僕には、友達の突然降って沸いた嫉妬心に首を傾げることしかできない。

「美人、ナンパ、プレゼント、そして求婚」

 友達は箸をしゃぶりながら、「いいねぇ」とぼやいた後、またざるそばに箸をつけ始めた。

 たしかに単語だけで説明されるとすごくラッキーな話としてとらえられても仕方がないが、僕はこの友人には一からすべてを説明したのだ。解釈違いも甚だしい。

「そんないいもんじゃないだろ」

 などと言い返しながら、スプーンでカレーをすくい、それを口許へ運ぶ。

 友人に話しているのは、別に自慢をするためではなかった。

「また出会ってしまった時には、しつこく絡まれたりするのかなぁと思ってな」

 僕が危惧しているのはそこなのだ。これから会うたびに「幸せにしてください」って言われるのならまだかわいい。

 だが、世の中にはもっと危険なことがいっぱい転がっているのだ。

「こないだの長靴代金、一万円、払ってよね」なんて言われて怖いお兄さんが出現したりでもしたら、僕は大学を卒業する前にこの街を出ないといけなくなってしまう。

「おう、おう、いいねぇ、青春だねぇ、春だねぇ」

 誰が聞いてもわかるくらい感情のこもっていない適当な相打ちを打ちながら、目の前の友人はそばを進める手を止めはしなかった。

「お前なぁ、僕は真剣に相談してるんだぞ」

 少し言い方がきつかったのか、今度は食べる手をぴたりと止めて友人は顔を上げると、

「今の話のどこに相談内容が入っているのよ」

 呆れたような顔をこちらに向けてきた。

「いや、だから、次会った時に代金請求とか、押し売り商法的な詐欺だったらどうすればいいんだよって話だよ」

 呆れ顔はそのままに、友人は少し間を空けてから、

「うーん、返せばいいんじゃね、その長靴」

 そして再びそばをすすり始めた。

「返せばって、簡単に言うけど。それで済む問題かよ」

 僕ははぁっとため息をつき、左手で目頭をつまんだ。この友人に相談したのがそもそもの間違えだったのかもしれない。

 もういいやと、この話を打ち切ろうかとした、その時だった。

「てかさ、お前、知らないの」

 絡んだそばを箸でほぐしながら目の前の友人は、僕の方を見ずに、逆に質問をよこした。

「知らないって、何が」

 ムッとしたような声色になってしまったが、僕は念のために確認を取った。

 この男と話しているときにはよく話が噛み合わないことあることが頻発するからだ。

「この街の、猫目のネコちゃん。聞いたことねえの」

 友人の言葉に、僕は少し記憶を巡らせてみたのだが、初めて訊いた気がしたので、

「聞いたことないな」

 と、正直に答えた。

「そっかー、なら仕方ないねー」

 友人は心ここにあらずといった様子で会話を終わらせ、またしてもそばに集中しだした。

「いやいや、説明はしないのかよ」

 こいつのペースに乗せられるのも本当に疲れた。

 友人がどんどんそばを消費していく中、僕自身はどんどんとカレーを食するペースが落ちてきていた。まだ半分ほどしか食べていないのに満腹感が押し寄せてくる。

「まぁ、そこは『猫目』の部分で察してね、うん」

 そう言いながら両手を合わせてごちそうさました友人は、そのまま空になったトレーを持って席を立ち上がった。

「もう帰るのか」

「ああ。今日はもう疲れたから、帰って寝るわ」

 僕は友人を見送った後、スプーンを二、三回口へ運んでギブアップ宣告し、トレイを片付けてから学生食堂を跡にした。

 外に出ると、僕を食堂へ押し戻すかのように春一番が激しく吹いた。

 春とは言え、まだまだ肌寒い空気だった。日は傾き、頭上の空は濃い藍色をしていた。

 猫目の部分で察しろ、か。

 一番星を見ていたら、食堂での友人の言葉が頭の中によみがえってきた。

 昨日出逢ったあの女性は、本当に友人の言う『猫目』の人だったのだろうか。

 物思いにふけっても仕方ないことはわかっている。

 僕は昨日の出来事はあまり考えないようにして、急いで帰路につくことにした。

 寒くなる前に家に帰りたかった。

つづく

  

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